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2011年11月11日 (金)

大震災8ヶ月の石巻を歩く

 先日、仙台から高速バスで、石巻駅へ。目についたのが、「がんばろう! 石巻」。駅前の元デパートであったピンク色の石巻市役所によってみた。

 「応急仮設住宅申込受付窓口」「被災・罹災受付場所」「家屋解体・がれき撤去」などが目につく。多くの市民が相談にきている。当時、ここにも濁流が流れてきた。

 きょうは3.11東日本大震災から8ヶ月。たくさんの人々が犠牲になった。その昔、ぼくは石巻市に講演会できたことがある。巨大地震による石巻市の被害は、11月7日現在、死者は3278人、いまなお行方不明は688人もいる。

 ぼくは駅から旧北上川にむけて歩いた。商店街を通り過ぎ、なだらかな大きな川がみえてきた。川の中州に「石ノ森萬画館」がみえる。津波の被害で、いま休館中だ。

 このあたりから周囲の様子が大きく変化している。大型クレーン車が橋の工事をしている。数隻の船が道沿いに転覆したままになっている。

 コンクリートの建物を重機がうなりをあげて解体している。残った家は1階が破壊されている。工事関係者以外、人影がない。広い空地になっている。大津波で家もろとも流されたにちがいない。お寺がみえた。寄ってみると無数の墓は横倒しになったままだ。

 ぼくがいま歩いている場所は、南浜町、門脇町。巨大津波とその後の火災があった地区。石巻市立病院の建物がみえる。その脇の「処方せん受付」の建物は倒れ、水に浸かったままだ。病院の再開のめどはたっていない。

 残った木々の枝にひらひらとビニールがくっつき、ここに多くの患者がいたとは思えないわびしい風景をかもしだしている。近くには市内各地からのがれきの山がみえる。

 病院をすぎると、海岸の道路沿いに大津波による廃車が山とつまれている。何百台、いや数千台にもなる車が積み重ねられている。まさに車の墓になっている。

 海岸から小高い山までの広い地域が巨大地震によって家や建物が流された。いまなおぽつんと廃墟となった家が残っている。水が完全にひいてはいない。

 「石巻で祖母と孫の少年が9日ぶりに救出」というニュースも記憶に新しい。ぼくが歩いている地区がその現場だ。火災で廃墟となった門脇小学校の脇の小道をとおって高台にあがった。

 眼下には、かつて人びとが住んでいた町が、一瞬にして全滅した光景がみえる。高台に住む女性は、「ここの住宅地は地震のゆれもひどくなかったです。私たちは運がよかった。市内がよくみえる近くの日和山公園をぜひ訪ねてください」と。

 日和山からみる旧北上川や市街地、また反対側の大津波にさらわれた南浜町、門脇町の風景はなにごともなかったように静かだ。海を見下ろす柵に「全国のみなさん 救援ありがとう」の横断幕がかかげられている。

 大津波で家や車は流され、がれきの山となった町もいまはきれいに片づけられている。とはいえ、被災地の復旧・復興は簡単ではない。市内各地に仮設住宅がつくられ、それを結ぶ循環バスも走っている。これから寒い冬がやってくる。一人ひとりのくらしを考えると心が痛む。

 いまわが家は市長選挙などの残務整理に大半をついやしている。つれあいの当麻よし子も本や資料などあとかたづけにおわれている。一瞬にして生命・財産すべてを失った石巻市民とくらべると幸せなあとかたづけといえよう。

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