変わった飛行場への駅名
「わが家を震災にあわれた親子に提供したい」「うちの土地に仮設住宅を建ててもいいですよ」と身近な市民の方から聞いた。なんとか被災者を手助けしたいという善意の声がおきている。
きょうの朝日新聞には、東日本大震災で、死亡11,168人、安否不明18,382人、避難175,396人(29日現在)と報道されている。毎日のように死亡者がふえている。3月11日に起きた巨大地震(M9.0)は、大切な人のいのちや家、財産を一瞬のうちに破壊した。
つれあいの当麻よし子市長は、大震災後、いつもより早く自宅をでている。物資調達、避難者受け入れ、緊急援助隊など、連日「災害支援対策本部会議」をひらいている。くわしくは市役所HPをごらんください。
東京電力の計画停電が発表されてからわが家の地域の第1-Cグループの停電はまだ起きていないが、福島第1原発事故の放射能もれも、いまだ安心できない状況にある。
未曾有の大震災で、4月2日の所沢航空発祥100周年の記念式典・講演会、市民文化フェアなどの大きな行事が中止された。
とくに航空発祥100周年行事の中止はとても残念だ。日本で最初の飛行場が所沢にできて今年4月は100周年になる。だが、祝い事も大震災ではやむをえない。いろいろな行事が中止になっている。
そのなかで、「所沢飛行場100周年特別展」(4月3日まで)が西新井町の小さな「ギャラリーブロッサム」(能面美術館前)でひらかれている。「わが家に残されている資料を展示します」と鈴木源太郎さんのご案内だ。
陸軍気球研究所用地買収関係書類上申書(松井村総代)、試験場入場を許可すべき書、仏国飛行団歓迎会案内状など貴重な資料が展示されている。100年余前、飛行場の土地が買収されるさまは以前のブログ(2009.10.14)で書いたことがある。
特別展には、飛行場にいくために駅がつくられた当時のビラが展示されている。現在、所沢駅は西武池袋線と西武新宿線が交差している。ぼくが知らなかった駅名「松井村」。昭和13年2月19日開業。いまの所沢駅と秋津駅のあいだにできた。池袋まで片道45銭。
当時、武蔵野電車の松井村駅は、同年3月1日より所沢飛行場駅に、昭和15年12月1日より東所沢駅に駅名を改正している。あわただしい駅名変更だ。その背景はなんだったのかはわからない。いまはこの駅があったところはあとかたもない。
これまた昭和13年6月3日開業の所沢飛行場前駅は、昭和15年12月1日、所沢御幸町駅に改名している。現在の所沢駅と航空公園駅の中間。これもあとかたがない。
特別展は、ぼくにとってはじめてみる資料ばかりであった。100年の歴史にはさまざまなできごとがある。大津波で東北沿岸の水没地域はとてつもなく広い。復旧・復興にむけて、みんなで「がんばれ東北」「がんばれ日本」でいきたい。