フォール大佐も利用の料亭
広大な所沢航空記念公園内の日本庭園・茶室の南側にフランス人の胸像がある。八の字にのばした立派なヒゲの人は、フランス人のジャック・フォール大佐の像だ。
1919年(大正8年)1月、フランスから航空教育軍事使節団が日本にやってきた。使節団は約60人、その団長がフォール大佐。当時、最高の航空技術をもっていた使節団は、フランスのマルセイユ港を出航して来日した。
アメリカのライト兄弟が動力のついた飛行に成功したのは1903年12月。日本で最初の飛行場が所沢に開設されたのが1911年(明治44年)4月1日。
4月5日、アンリ・ファルマン機が初めて所沢飛行場から飛び立った。初の飛行は、高度10m、飛行距離800m、飛行時間は1分20秒であった。所沢市は航空発祥100周年を記念して、いまアンリ・ファルマン機の2分の1復元模型を市役所1階市民ホールに展示している。
アンリ・ファルマン1910年型機はフランス製で、最大速度は65km/h。わずか800mの距離であっても、鳥のように複葉機が大空に舞うことができた。驚いたことに、1ヵ月後には所沢飛行場で、国産機(奈良原式2号)が高度4m、距離60mを初飛行している。
飛行機の発達は日進月歩。1910年代の飛行機は試行錯誤の時代といえる。この時代にフランスから使節団がやってきた。フォール大佐一行は所沢に長期間滞在し、飛行技術などの指導にあたった。使節団の目的は航空技術の指導だけではなく、フランス軍用機の売り込みもあったという。
この使節団の食事はどうしていたのだろうか。所沢には1882年(明治15年)に創業した料亭・美好軒(現在名は割烹・美好)がある。創業者が「これからは洋食の時代だ」とひらいた。三代目はフランスに渡り、帰国後、本格的な洋食をはじめている。
100年前に所沢飛行場ができて、アンリ・ファルマン機で初飛行した徳川好敏大尉をはじめ、多くの著名人が来店されたという。美好軒にはビリヤードもあった。当時としては、モダンでしゃれたお店であったにちがいない。
所沢にやってきたフォール大佐一行も料亭・美好軒を利用した。四代目の女将によると、先代から聞いたところ、彼らは「サーロインステーキ、ビーフシチュー、パイ料理、魚のクリーム煮など」を堪能されたという。
ランチタイムに「フォール・カツレツセット」があると聞いて、先日、友人たちと「美好」に入った。チラシには「フォール大佐が一番好まれた家庭料理」とある。肉がやわらく、とてもおいしい。日本庭園をながめての食事。梅の花がパラパラおちている。
昼間のお客さんは少ないが、夜が戦場だという女将。92年前、フランス将校ご用達のレストランは、いくたの変遷をへて、新たな挑戦をしながらお店をつづけている。
「当麻よし子のHP」では、昨年から「市制60周年・航空発祥100周年」紹介の動画(YouTube)をのせています。まだの方は、ぜひクリックしてください。また「ところレポート」を更新しました。