幅12mの古代の直線道路跡
淡いピンクのコスモス、オレンジ色のマンダリン、黄色のサンライズなどが広いお花畑一面に咲いている。場所は、小手指駅から狭山湖までつづく散歩道近くの農地。先日、このお花畑を訪ねた。テントでは「地元農産物直売会」がひらかれていた。
このお花畑近くに所沢市立埋蔵文化財調査センターがある。実は、このセンターで「東の上(あずまのうえ)遺跡」についての講演会があった。この講演会開始前、ぼくはコスモスが咲き乱れるお花畑を見学した。
つれあいの当麻よし子市長もお花畑イベントに参加している。お花畑を一周したつれあいは、直売会でジャガイモ、ねぎ、玉ねぎなど購入していた。
お花畑を見学して、ぼくは埋蔵文化財調査センターにもどった。このセンターには、旧石器時代の石器、縄文時代の装飾品、弥生時代の土器、古墳時代の遺物、奈良・平安時代の金属製品、土師器(はじき)などが収蔵・展示されている。
講演に先立って、センター長が、うれしいことに講演会参加者に館内の案内をしてくれた。駆け足の所沢の歴史をわかりやすく説明。「どうぞ手にとってください」と収蔵庫の縄文・弥生時代の土器にもさわれた。発掘した土器ひとつとっても、復元作業、実測作業はこまかい仕事にちがいない。
所沢市内には、現在165箇所の遺跡が確認されている。その多くは狭山丘陵の周辺、柳瀬川・東川流域など水のある地域。多くは縄文時代中期(約4500年前)という。
歴史や文化を知る手がかりとなる埋蔵文化財。わが家の近くに山口城跡がある。平安時代末期から中世にかけての城跡。といっても、いまはそのおもかげはない。城跡には住宅やお店がつぎつぎと建てられている。先月もこの城跡で発掘調査がおこなわれていた。さて、なにが出土したであろうか?
講演会のテーマは「古代の道・中世の道」。講師は、宮瀧交二先生(大東文化大学)。古代の道といえば、ぼくは「すべての道はローマに通じる」を思い出す。ローマ帝国は、中央から地方を強力に支配するため直線的な幅広い道路網をつくっている。
30年以上前から発掘調査された所沢市南住吉、久米地区にある東の上遺跡。これまで発見された奈良・平安時代の遺構には、竪穴住居跡、掘立柱建物跡、南稜中学校校庭で発見された幅12mの直線道路跡がある。
先生は、この道路についてお話をされた。「平成元年、中学校グランドで発見されたのは幸運であった。いまこの遺構は埋められている。日本が律令制国家の時代、どうやって中央の伝達をするのか、平城京から七道をとおって30里(16km)ごとに駅家(うまや)をつくり、役人は馬をのりかえて中央の文書を急ぎ地方に伝えた」
「道路はまっすぐで、古墳があってもそれをのりこえた。道幅は平均12m、役人は馬をとばして、1日8ヶ所の駅家(16km×8=128km)間を走ったという。まさに古代の道は律令国家の一直線の道でつらぬかれていた」
南稜中学校グランドで発見された道は、官道(国道)のひとつ「東山道(とうさんどう)・武蔵道」。道路には遺跡はないが、その両脇にはたくさんの建物・住居跡、また馬具、馬の絵が描かれた漆紙文書などが出土したという。
8世紀頃の所沢に幅12mの一直線の道路。役人が馬に乗り、わが地域から南の武蔵国府や北の上野国府に急ぎ走っていくさまはどんなであっただろうか。
先生は、「中世の道は網状になっていきます。御家人のいる所から鎌倉につながる道。鎌倉街道は一本ではありません。千葉県にも、西では愛知県にもあります」と。所沢にも旧鎌倉街道がある。
現代は車社会。いたるところに無数の道路がある。その昔、古代の官道(国道)がわが所沢にもあった。道の歴史ひとつとっても、政治、経済、生活、文化など、それぞれの時代を反映している。みなさんのまちでは、どんな道の歴史が秘められているだろうか。
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