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2009年9月

2009年9月30日 (水)

越中冨山「紫紺の集い」に

 越後湯沢から特急で2時間、右側に日本海を眺めながら富山駅に到着。ぼくは9月26~27日、富山市でひらかれた「第45回明治大学全国交友富山大会」に参加した。

 富山市は人口42万人。平成17年4月に7市町村が合併し、その面積は1,241k㎡。なんと所沢市の17倍の広さになる。駅前にはいくつもの大きなホテル、昔ながらの路面電車。さらに駅北口には、平成18年に開業した2両編成のしゃれた次世代型路面電車・ライトレールが走っている。

 26日の前夜祭。ホテルの宴会場には全国の交友が集まっている。ちなみに所沢市は都心に近いため小さなホテル、宴会場しかない。宿泊設備が少ないため全国的な集会には苦労している。

 ちんどん屋がにぎやかに校歌を演奏。地元富山県支部の歓迎あいさつの後、会場はわきあいあい明治一色に。まずはお隣の人に声をかけた。飯能市から来たというNさん。昭和17年卒というからぼくが生まれる前の卒業生だ。大会名簿をみると埼玉県から56人が出席している。

 27日午後1時から冨山県民会館で1300人の交友が参加して大会がひらかれた。記念式典はNHKアナウンサーの石澤典夫(s51年卒)さんの司会で始まった。

 地元の松原実行委員長が「全国各地から、また韓国から韓国支部の人たちを含めて大会がひらかれるのは大きな喜び。ぜひ紫紺の旗の下、交友の輪を拡げてほしい。今晩この富山でたくさんお金を落としてください(笑い)」と歓迎のあいさつ。

 演壇には大学関係者、富山県知事、富山市長、富山県の東京6大学OB会などが並んでいる。交友の村山富市元総理もいる。校友会の向殿会長は、「このような全国大会は他大学にはありません。明治は一つといいたい。明大の発展のために校友会、父母会などが一つになって努力している。世界に飛び立つ明治にしたい」とあいさつ。

 記念イベントは、落語家の立川志の輔師匠(s51年卒)。毎週水曜日の夜、NHK「ためしてガッテン」の司会でもおなじみだ。巧妙な話術に会場は大きな笑いにつつまれた。

 夜の懇親会は昨晩とは別の会場。たくさんの参加者で、一つに入りきれず、第二、第三会場ではモニター画面が設置された。来年の開催県は「紅花の山形」。「ござらっしゃい!」と山形県支部のみなさんがはりきっている。

 同窓生というのは不思議な力がある。同じ学校にまなんだというだけで、親しみを感じさせる。全国各地から大会にはせ参じる。今回は韓国の交友も同伴者づれで20人が参加している。多様な業種、異年齢でも会話が始まる。

 つれあいの当麻よし子市長は昨年発足した「所沢三田会」に所属。ぼくが所属する明大校友会所沢地域支部の総会は10月3日にひらかれる。この席で、つれあいは「これからの所沢」の講演を予定している。さらに10月下旬には、山口中学校の同窓会がある。

 中学生の同窓会は何年ぶりだろうか。中学校を卒業して半世紀。みんないろいろな人生経験をしている。なかには物故者もいる。ぼくにとって同窓会で一番なつかしいのは、同じ地域でまなんだ多感な中学生のときの同窓会。「○○君」「○○ちゃん」とよべる同窓生。みなさんの場合はどうであろうか?

 話はそれたが、短い富山市滞在中、ぼくは次世代型路面電車・ライトレールに乗って、北前船回船問屋「森家」を訪ねた。富山湾にある回船問屋は、江戸時代から明治時代にかけて、瀬戸内海、日本海、北海道を往来していた。明治時代に建てられた森家もその一つだ。

 富山湾の岸壁も散策した。親子づれがたくさん釣りをしている。富山市消防局の船もつながれている。港湾をもつ市の消防船。こんなのにぼくは、つい感心してしまう。

 富山市役所の展望台にもでかけた。市役所玄関ホールには、「ようこそ市役所へ。私たちが、責任ある行動でがんばります」と市長ほか幹部の写真が受付脇にはってある。

 ひさしぶりの市役所なので、ぐるりと階をまわってみた。どの課にも、課長の写真と席順が表示されている。昨晩お会いした森雅志市長が秋田市を訪問したときに、「これはよい」と一昨年からはじめたという。外来者のぼくは、こんな小さなことに、これまた感心してしまう。

 70mの展望台に上ると、曇り日であったが運よく、はるかかなたに北アルプス剣岳などがみえる。ぼくは100年前あの剣岳に登頂し、苦労して測量した映画「剣岳 点の記」を思い出した。それにしても富山市の面積は広い。

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2009年9月20日 (日)

いつまでも元気にいたいが

 当麻よし子市長は、昨日、100歳になる3人の長寿者のお祝いにでかけた。最初に訪問したOさんは、わが家の近くの人。ぼくの同級生もいる。「どうだった?」と聞くと、「しっかりしていて、とても100歳にはみえない。80歳ぐらいしかみえない」と。

 「きんは100歳100歳、ぎんも100歳100歳」と双子姉妹のテレビCMを覚えている方も多いだろう。十数年前のことだ。日本中に明るい話題をふりまいた。1892年生まれのきんさんは満107歳、ぎんさんは満108歳で亡くなっている。

 厚生労働省が発表した最新の資料(9/11)によると、「100歳以上の高齢者の数は、年々急速に増えている。昭和38年には全国で153人、昭和56年には1千人、平成10年には1万人を越え、本年は4万人を突破し、40,399人(前年比+4,123人)」。そのうち女性は86.5%を占めているという。

 ちなみに所沢市で今年100歳になる人は33人。100歳以上は95人、最高年齢は108歳の女性。市の担当者に聞くと、さすが100歳以上になると身体が弱っているという。ぼくの母は100歳で亡くなったが、数年前から病院生活をよぎなくされていた。

 人は何歳まで生きられるのであろうか。日本は世界でも1,2位をあらそう長寿国。日本人の平均寿命は男性が79歳、女性が86歳。どんなに長生きしても人間は120歳ぐらいが限界だろう。

 今日ひさしぶりにわが家にやってきた車いすのTさん。これからだんなさんが入居している特別養護老人ホームにいくという。電動車いすを近くにおいてタクシーで往復する。そのタクシー代は月2万円。わずかな年金から特養の費用なども支払う。「私が倒れたら生活保護をうけたいわ」「だけどTさん、持ち家があると簡単ではないですよ」。こんな会話がつづく。

 急速に進む少子高齢社会。70代前半のTさんのつれあいは症状が悪化している。歯も抜けておかゆの食事だという。車いすのTさんの声は明るいが、将来への不安・心配が切実だ。子どもは独立して、いまはつれあいは特養ホーム、日々の生活は不安がつきまとう。

 明日は敬老の日。今年の市内の敬老対象者(75歳以上)は2万7千人以上、人口比で約8%。いま所沢市の65歳以上の高齢者は5人に一人だが、5年後には4人に一人と推計している。

 核家族化で世帯の構成もかわり、高齢者夫婦や一人暮らしの高齢者もふえている。「老老介護」から「認認介護」も深刻な問題になっている。同じ町内にも認知症の妻のため買い物やそうじなど一生懸命やっていた人が、自分も認知症になってしまったという共倒れの例がある。

 最近、「市内の○○地区のAさんが行方不明です。服装は○○です。見かけましたらご連絡ください」という市役所の防災行政無線で呼びかける例もある。いつどこへ徘徊したのか、家族が心配してあちこち探すがみあたらない、そんなときの放送だ。

 所沢市の高齢者福祉計画を読むと、介護予防事業、地域支援事業、困ったときの相談先、トコロみまもりネットの充実、虐待対策、いきがい活動の推進、高齢者福祉施設の整備などきめこまかな施策がある。

 人はだれでも、「いつまでもいきいきと元気に暮らしたい」と願っている。ぼくの周囲にはボランティア活動や生涯学習にとりくむ元気な高齢者が多い。

 だが、人生はいつなにが起きるかわからない。いつまでも元気にくらすためには、まず自己管理。100歳になった人たちはどのような自己管理をしてきたのであろうか。

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2009年9月14日 (月)

幅12mの古代の直線道路跡

 淡いピンクのコスモス、オレンジ色のマンダリン、黄色のサンライズなどが広いお花畑一面に咲いている。場所は、小手指駅から狭山湖までつづく散歩道近くの農地。先日、このお花畑を訪ねた。テントでは「地元農産物直売会」がひらかれていた。

 このお花畑近くに所沢市立埋蔵文化財調査センターがある。実は、このセンターで「東の上(あずまのうえ)遺跡」についての講演会があった。この講演会開始前、ぼくはコスモスが咲き乱れるお花畑を見学した。

 つれあいの当麻よし子市長もお花畑イベントに参加している。お花畑を一周したつれあいは、直売会でジャガイモ、ねぎ、玉ねぎなど購入していた。

 お花畑を見学して、ぼくは埋蔵文化財調査センターにもどった。このセンターには、旧石器時代の石器、縄文時代の装飾品、弥生時代の土器、古墳時代の遺物、奈良・平安時代の金属製品、土師器(はじき)などが収蔵・展示されている。

 講演に先立って、センター長が、うれしいことに講演会参加者に館内の案内をしてくれた。駆け足の所沢の歴史をわかりやすく説明。「どうぞ手にとってください」と収蔵庫の縄文・弥生時代の土器にもさわれた。発掘した土器ひとつとっても、復元作業、実測作業はこまかい仕事にちがいない。

 所沢市内には、現在165箇所の遺跡が確認されている。その多くは狭山丘陵の周辺、柳瀬川・東川流域など水のある地域。多くは縄文時代中期(約4500年前)という。

 歴史や文化を知る手がかりとなる埋蔵文化財。わが家の近くに山口城跡がある。平安時代末期から中世にかけての城跡。といっても、いまはそのおもかげはない。城跡には住宅やお店がつぎつぎと建てられている。先月もこの城跡で発掘調査がおこなわれていた。さて、なにが出土したであろうか?

 講演会のテーマは「古代の道・中世の道」。講師は、宮瀧交二先生(大東文化大学)。古代の道といえば、ぼくは「すべての道はローマに通じる」を思い出す。ローマ帝国は、中央から地方を強力に支配するため直線的な幅広い道路網をつくっている。

 30年以上前から発掘調査された所沢市南住吉、久米地区にある東の上遺跡。これまで発見された奈良・平安時代の遺構には、竪穴住居跡、掘立柱建物跡、南稜中学校校庭で発見された幅12mの直線道路跡がある。

 先生は、この道路についてお話をされた。「平成元年、中学校グランドで発見されたのは幸運であった。いまこの遺構は埋められている。日本が律令制国家の時代、どうやって中央の伝達をするのか、平城京から七道をとおって30里(16km)ごとに駅家(うまや)をつくり、役人は馬をのりかえて中央の文書を急ぎ地方に伝えた」

 「道路はまっすぐで、古墳があってもそれをのりこえた。道幅は平均12m、役人は馬をとばして、1日8ヶ所の駅家(16km×8=128km)間を走ったという。まさに古代の道は律令国家の一直線の道でつらぬかれていた」

 南稜中学校グランドで発見された道は、官道(国道)のひとつ「東山道(とうさんどう)・武蔵道」。道路には遺跡はないが、その両脇にはたくさんの建物・住居跡、また馬具、馬の絵が描かれた漆紙文書などが出土したという。

 8世紀頃の所沢に幅12mの一直線の道路。役人が馬に乗り、わが地域から南の武蔵国府や北の上野国府に急ぎ走っていくさまはどんなであっただろうか。 

 先生は、「中世の道は網状になっていきます。御家人のいる所から鎌倉につながる道。鎌倉街道は一本ではありません。千葉県にも、西では愛知県にもあります」と。所沢にも旧鎌倉街道がある。

 現代は車社会。いたるところに無数の道路がある。その昔、古代の官道(国道)がわが所沢にもあった。道の歴史ひとつとっても、政治、経済、生活、文化など、それぞれの時代を反映している。みなさんのまちでは、どんな道の歴史が秘められているだろうか。

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2009年9月 8日 (火)

個性ある所沢ビエンナーレ

 9月に入り、朝夕しのぎやすくなってきた。にぎやかなセミの鳴き声も消え、秋の虫がいまや主役になっている。夜になると、暗闇のなか、あちこちで虫がいっせいに鳴いている。日中はまだ暑い。だが、確実にわが家の庭にも秋がおしよせている。

 先の総選挙で圧勝した民主党。9月16日の歴史的な政権交代にむけて、民主党の鳩山代表の発言が連日報道されている。当麻よし子市長も開会中の定例市議会で、「政権交代と市政への影響」などの一般質問の通告を受けている。

 いま、一票の重みが日本の政治を大転換させようとしている。それだけに国民の期待も大きい。「民主党のマニフェストが完全に実行されるとは思わないが、今回の新しい政権には期待している」と街なかで語る市民も多い。

 昨年9月の世界的な金融危機から1年。景気は少しもよくならない。景気がよくなったという実感がまずない。まちの小さな食堂、喫茶店も値段を下げてお客さん獲得に努力している。閉塞感がただよういままでの政治から、ぜひ「国民の生活が第一」の政治を実行してほしいものだ。

 さて、いま市内でユニークな美術展が開催されている。会場は、所沢駅西口から徒歩2分の西武鉄道旧所沢車両工場。その名は「第1回所沢ビエンナーレ引込線」(入場無料。9月23日まで)。実は昨年、プレ展がおなじ会場でひらかれた。

 会場の旧車両工場には、いまも天井の高い建物がいくつもある。広い建物内には、プロジェクターをつかった光の投影、工事現場の筒のような大きな作品、車両工場の天井がみえる床の鏡、蛍光灯の光を利用して走る人間の姿、巨大な根っこをもつ立ち木、紙をまるめた横からみると車? 前から見るとカバの口? などが展示されている。

 壁一面にはられたインクジェットプリント、帽子をかぶった男女像、高い天井にゆれるビニール作品、大ビニールシートを利用した作家の制作現場? など、これはいったいなにを表現しているのだろうか、美術にうといぼくには理解できないものが展示されている。

 旧車両工場の建物はどでかい。その会場に何枚も巨大な布の作品がつるされている。所沢の中心市街地を銅版にした地図作品は、道路も精密、広大な米軍所沢通信基地の存在もすぐわかる。

 現代の世相を訴える作品もある。コの字型にベニヤをはった小部屋。ジーパンや作業手袋がつるされている。小さなテレビ、奥にはベッド。題名は「アーティスト難民」。これは、なにをいいたいのかわかりやすい。

 ビエンナーレ。イタリア語で「2年に一度行なわれる美術展」という意味。この美術展は、所沢在住の美術家が中心となって、地域に根ざしながら発表の場を、とはじまった。

 作家自身による手づくりの自主企画展。旧車両工場という会場は、立派な美術館、画廊ではけっして味わえないふんいきを見学者にあたえている。これは作品の一部なのか、工場のものなのか区切りがつかない。

 いろいろな作品が会場に展示されているが、それぞれ個性があって、みんな豊かな想像力をかもしだしている、というのが素人のぼくの印象。この展覧会の性格は、「作家主導であること、テーマを設けないこと、作品の形体、形式、思想を限定しないこと、次世代が育つ現場であること」だという。

 テーマを設けないこと、作品も自由、こんな考えで開催されている「所沢ビエンナーレ引込線」。かつて所沢駅から車両工場まで道路をはさんで引込線があった。

 主催者によると、「引込線というタイトルは、美術に関心をもつ人びとの覚醒した意思を引き込む、吸引力のある磁場をつくりだしたい」という意図があるという。

 ぼくも磁場にひきこまれてやってきた一人。秋の夜長、個性ある作者と酒をくみかわし、美術よもやま話をお聞きしたいと思うのはぼくだけであろうか。

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