映画「三池」に涙ぐむ市長
映画「三池」上映終了後、司会者が「休憩に入る前に、大牟田出身の市長さんがみえていますのでごあいさつをお願いします」と突然マイクをにぎった。つれあいは、前にでてきたが様子がおかしい。目に涙をためている。一瞬、声がでない。いろいろな場面が思い出されたにちがいない。
「私の父は三池炭鉱の機械工でした。三池争議のときは、親につれられてデモに参加しました。昭和38年(1963年)の炭塵(たんじん)爆発のとき、先生から大事故が起きたと聞かされました。高校生になって、所属の演劇部でCO患者をあつかった創作劇を発表しました。この映画を記録した熊谷監督に感謝します」
つれあいの当麻よし子市長は、福岡県大牟田市の出身。先日、所沢市立中央公民館で、映画「三池 終わらない炭鉱の物語」(熊谷博子監督)が上映された。実行委員会がつくられ、市長に協力要請がされた。即座に「私も映画を観にいきたい」と返事をしたという。実行委員会ニュース(第2号)には市長面会時のようすも載っている。
映画「三池」は、三井三池炭鉱の歴史をいろいろな角度からとらえている。囚人労働、朝鮮人の強制連行、炭鉱労働者の仕事、三池争議、炭塵爆発で苦しむCO患者の家族などを描いている。
インタビューに答えた人たちも、会社側の人、第一組合、第二組合、CO患者の妻の声など多様だ。インタビューに答えた人に「爆発のとき、第一も、第二もない。みんな炭掘る仲間なんです」という場面も印象深い。
三池炭鉱は日本の近代化をささえてきたが、日本のエネルギー政策の転換によって、1997年3月に閉山した。歴史に残る三池闘争。石炭産業の斜陽化によって大量の首切りの方針がだされ、日本中をまきこむ労働争議があった。さらに1963年11月、三川抗での炭塵爆発で458人が死亡、一酸化炭素中毒患者は800余人もでている。いまなお、病院で苦しんでいるCO患者、その家族がいる。
上映後、映画「三池」を撮った熊谷監督のトークがあった。「泣いている当麻市長をみて私も泣きかけてしまいました」とはじまったトークは、映像ジャーナリストとして、なぜこの映画を撮ったかのお話になった。
1998年「歴史をいかしたまちづくり」のシンポジウムがあった。そのときはじめて廃坑の宮原抗に足を踏み込んだ。「下から働いている人の声が聞こえてくる気がした。そのとき記録映画を撮りたいと思った」と。
地元の人に撮りたいというと、「三池にはあまりにも負の遺産が多すぎる。すべてを忘れたいといわれ、ショックと怒りを覚えてしまった。たしかに戦前は囚人労働、強制連行があり、戦後は労働争議と炭鉱事故など重い歴史がある。だがそれは日本人がたどった歴史そのもので、その歴史を負の遺産として消してしまうなんて。ここで必死に働いて生きて闘ってきた人たちはどうなってしまうんだろうか」
この映画制作に協力したひとりの熱心な大牟田市職員の努力もある。この映画をつくるのに7年、100人近いインタビューをおこなった。二分された三池争議のきずあともあった。炭塵爆発後、ひっそり生きている人たちもいる。強制連行された朝鮮の人も、日本名でくらしてきたが、体験を本名でインタビューに応じてくれてうれしかった等々、監督は撮影の背景をたんたんとお話された。
会場には、1960年の「三池・安保闘争」にかかわった年配の人たちもいる。もう半世紀前の歴史の最前線にいた人たちだ。いま時代は大きく変わってはいるが、経済不況のなかで、貧富の格差の拡大、派遣社員・正社員の首切りの増大など、不安をかかえている市民は多い。この映画は、歴史を直視する大切さを訴えていると思う。
どのまちにも歴史がある。ぼくも何回か大牟田を訪ねたことがある。閉山後の大牟田のまちはいまどうなっているのだろうか。
| 固定リンク


コメント