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2009年4月

2009年4月24日 (金)

所沢市の定額給付金は?

 所沢市役所には、「いつ定額給付金申請書が送られるんですか」「いつから給付金をうけとれるんですか」などの問い合わせが連日20-50件もあるという。そのなかには転出、離婚、海外転居、外国籍市民など、個別ケースの相談も多いという。お金のことだけに市民の関心は高い。

 2兆円の予算で、「景気後退下での住民の不安に対処するため、住民への生活支援」という定額給付金については、国会でも賛否両論、世論も7-8割が反対という声が多かった。だが、法案が可決され、具体的に事務をおこなう市町村は、いまその膨大な事務量におわれている。

 定額給付室の話によると、所沢市の定額給付金申請書は5月1日から順次発送していくという。給付申請の受付は5月7日から11月9日までになっている。全国ではすでに申請書を発送している市町村もあるが、所沢市の場合、人口も多いのでこれからだ。

 3月議会にだされた資料では、対象人数は341,498人(外国人を含む)。定額給付金額は50億8800万円、事務費2億9千万余円、総額53億円を超える。対象リストのデータを準備するだけでも、その大変さがわかる。

 この定額給付金の事業は、法的には市町村に裁量権のある「自治事務」になっているが、実際の裁量は事務費に妥当性があればぐらいだ。国で決めたのであとは従え、自治体の裁量の余地はないよであれば、なぜ自治事務なのか、首をかしげたくなる。「国と地方の対等・協力関係」をうたった地方分権の精神はいったいどこにあるのだろうか。

 それはさておいて、今年2月1日に、①住民基本台帳に記録されている者②外国人登録原票に登録されている者に、一人12,000円(基準日に65歳以上および18歳以下には20,000円)が給付される。またその申請・受給者は、世帯主(外国人は各給付対象者)になる。わが家はいくらになるのか、さっそく計算した人もいるだろう。

 お金のうけとり方は、①郵送申請方式②窓口申請方式③窓口現金受領方式の3種類。どんなうけとり方が多いかときくと、①がほとんど、②の窓口で申請して口座振込みは10%ぐらい、③の窓口で申請・現金をうけとるのが1-2%ぐらいを予測しているという。

 申請書が届くと、問い合わせもさらに多くなるであろう。専用ダイヤルのほかに、庁内には臨時受付窓口、通常受付窓口、個別対応窓口を考えているという。この給付金対応で窓口が半年間つづく予定だ。

 昨日(4/23)の朝日新聞にコラムニストの天野祐吉さんが「わが家にも給付金の通知がきた。給付というより税金の返還である。ま、断るのも角がたつから受けとることにした・・ぼくのところは銀行振り込みである。これはいけない。間違っています。現金封筒で送るのがスジというものだ。だって、ぱっと使ってほしいんだろう。麻生さんはそう言ってたよ」と皮肉っていた。

 同じ日の朝日の紙面に「定額給付金の使い方は?」のアンケート結果の記事がある。回答数が約4,600.。50歳以上は、①家族と食事②旅行や行楽③貯金だが、49歳以下は①貯金②旅行や行楽③家族で食事がトップ3になっている。そのあとは、子どもの教育費、衣料費もあるが、「寄付」という人もいる。

 所沢市の場合は、給付金を寄付したい人は、昨年度からスタートした「ふるさと納税制度」(応援寄付金)を活用していただきたい、とのことである。

 「額がすくない」「消費税があとからやってくる」など、定額給付金はいろいろ世間の話題になっている。所沢市議会でも、つれあいの当麻よし子市長に「市長の裁量で50億円使えるとしたらどうするか」「市長は給付金はうけとるのか」との質問もあった。

 今日の昼食時、「うけとるのはうれしいけど、あとが怖いね」という会話があった。定額給付金のあとにくる怖さを市民はしっかりとらえている、とぼくは思った。みなさんは今回の定額給付金をどう考えているのだろうか。

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2009年4月21日 (火)

航空発祥の地の飛行船

 大空にゆったりと浮かぶ飛行船。ぼくは巨大な飛行船を都内上空でみたことがある。胴体には企業名の広告、ビルの上空を音もなくゆっくりと飛んでいる。

 その昔、「せまい日本 そんなに急いでどこへ行く」という交通安全スローガンがあった。急発進する車、信号機が目前にあっても追い越そうとする車などにはぴったりの標語だ。騒音、排ガスをまきちらしている車より、大空を飛ぶ飛行船ははるかに環境によいと思う。だがいまの時代、のんびりした飛行船は時代遅れ、といわれそうだ。

 先日(4/19)、まちぞう主催の「所沢の飛行船」の講演会が「ふらっと」であった。講師は田中昭重先生(所沢航空資料調査収集する会副会長)。所沢は2011年には航空発祥100周年をむかえる。

 参加者には航空機にくわしい人もみられたが、ぼくはまったくの素人。先生は飛行船のお話をする前に所沢の飛行場について説明された。

 1910年(明治43)12月、代々木練兵場(いまの代々木公園)で、徳川・日野両大尉による日本初の飛行があった。跡地には、それを記念した「航空発始之地」の碑があるという。飛行場ではなく、練兵場で飛んだだけなので「発始之地」。ぼくはまだこのモニュメントはみていない。

 日本初の所沢飛行場は、1911年(明治44)4月1日に開設された。当時の正式名は、「臨時軍用気球研究会所沢試験場」とのことだ。飛行機の前には陸軍の気球があり、日露戦争では気球は活躍したという。

 先生は、「これが当時の官報です」と、勅令によって1909年の「臨時軍用気球研究会」のことにふれた。翌年、飛行場用地は所沢に決定、用地が買収された。そして1911年4月5日、アンリー・ファルマン機による飛行場での初飛行が行なわれている。なぜ所沢が候補地に選ばれたのか、それは「東京に近いからではないか。当時、中野には気球隊があった」と。

 さて、飛行船。飛行船の種類には、①軟式-気球の進展で、飛行船の最初のもの②半硬式-長距離を飛ぶために大馬力の発動機と大量の燃料③ジュラルミンによる軽い骨格でツェッペリン式がその代表、の三つがあるとのこと。

 飛行機より飛行船の歴史はちょっと古い。19世紀後半になるとエンジン付飛行船が飛んでいる。先生は飛行船の先駆者・山田猪三郎の山田式飛行船の解説をされた。このへんは専門的でぼくにはわかりずらい。1911年は国産の「会式1号飛行機」と「イ号飛行船」が初飛行している。まさに飛行機、飛行船の黎明期といえる。

 所沢市民になじみのある飛行船は国産の「雄飛号」。1916年(大正5)、所沢-大阪間の飛行に成功している。資料によると雄飛号は全長85m、吊船は長さ10.5m、幅1.9m、高さ1.3m。巡航速度58km/hとなっている。

 この「雄飛号」の初飛行を記念したお菓子が所沢名物の「雄飛焼」。昭和5年の物品展で一等金牌を受領したという。いまでも飛行機新道近くの「梅月」さんで売られている。さらにアンリ・ファルマン機の初飛行を記念した所沢商店街「ファルマン通り」もある。

 黎明期の所沢飛行場。人びとは大空にはばたく飛行機や飛行船をどんな気持ちで眺めていたのであろうか。航空発祥100周年まであと2年。この記念すべき年にむけて、いまから全国に発信する行事等の準備が必要ではないだろうか。

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2009年4月14日 (火)

大空にはばたいた街所沢

 2年後の2011年は航空発祥100周年を迎える所沢。航空発祥の地らしく航空公園駅東口前には、いくつかのモニュメントがある。初めてこの地を訪れた人は、整然とした美しいまちなみに驚く。

 駅前ロータリーには、全国に誇る狭山茶の植栽にかこまれて、未来にはばたく流線型の「天翔」。先端は三角形の飛行機。右側の公園入口には「イマジネーションカーペット」。案内板には「未来にむかってめくれあがろうとする大地から、水がカーテンのように流れ落ちる全国でもめずらしい壁泉」とある。ここも先端には未来の飛行機が飛び立とうとしている。

 さらに駅前交差点手前には、1997年4月13日の大島→東京便を最後にした本物のエアニッポンのYS-11がおかれている。YS-11は、座席数は64席、巡航速度450km/h、航続距離1200kmという近距離用の中型旅客機だ。

 「日本の航空機はYS-11の後はつくられていないんです。その後はボーイング社の下請けになってしまっている。ボーイングの胴体の半分は日本がつくっています」と講演したのは、帆足孝治先生(航空ジャーナリスト協会副会長)。これは4月12日、「ふらっと」でひらかれた「まちぞう講演会」の「日本の航空機産業の現況」でのお話。

 日本の航空機はYS-11以降つくられていないということに驚いた。ぼくがうといのかもしれない。航空公園駅前に展示されているYS-11は、日本の航空工業会が開発した旅客機だ。案内板には「1962年(昭和37年)8月に初飛行して182機が製造され、国内需要だけでなく世界各国にも輸出されました」とある。

 帆足先生は、日本の航空宇宙工業の売上高は、2006年で1.4兆円で、アメリカ、イギリス、フランスなどとくらべ産業といえるほどではないと数字をあげた。若い頃、自動車産業につぐのは飛行機と思っていたが、どうもあてがはずれた、と。また航空ショーの裏話、いままで1機で最大何人乗っていたか?(イスラエル機で1087人)などの楽しいお話もあった。

 ぼくが「超音速のコンコルドだと時差や人間の生理にどんな影響がありますか」と質問すると、後の席で「ロンドンーニューヨーク間を2度乗ったことがある。時差は縦か横かで飛ぶ関係。問題は、高度を飛ぶときの宇宙線の影響がまだ調べられていない」と補足する人がいた。あとで聞くと市内に住む航空宇宙の専門家だ。所沢にはすばらしい人材がいる。

 この講演会を主催したのは「野老澤町造商店」(まちぞう)だ。所沢市の中心市街地の活性化のためにさまざまな企画をしている。月2-3回の企画展示がある。最近では、所沢将棋物語、雛物語、埼玉プロンコスバレンタインデーなどなど。ぼくもときたま足を運んでいる。

 いま「まちぞう」では、「所沢の上空を飛んだ~絵葉書に見る黎明期の飛行機」を開催している。開催期間は4月10日~4月22日まで。さらに4月19日(日)午後2時から、会場は「ふらっと」で、「所沢の飛行船」の講演会がある。講師は、所沢航空資料を収集する会の田中昭重副会長。所沢の空を舞った飛行船、飛行機のお話がある。

 この「まちぞう」で、所沢飛行場近くで絵葉書などを売っていた「並木商店」のことを初めて知った。飛行機新道の旭橋きわの絵葉書屋。ここでは当時の飛行機の絵葉書、飛行場見学の案内書などをみやげとして売っていたという。

 1903年12月、アメリカのライト兄弟が動力による飛行に成功してから1世紀。飛行機の発達はまさに日進月歩。飛行機、ミサイル、人工衛星、人類の月面着陸など、1911年(明治44年)、所沢に日本最初の飛行場ができたときだれが想像しただろうか。

 

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2009年4月 8日 (水)

入りをはかりて出を制す

 つれあいの当麻よし子市長は、今朝早くから富岡小学校の新通学路の渡り初め、姉妹都市の中国・常州市人民代表大会代表団との面会、防衛医大の入校式出席、夕方は西武ドームでWBCでの日本代表チーム優勝に貢献した西武ライオンズの涌井投手、中島選手・片岡選手に所沢市より特別顕彰の授与をおこなった。ぽくも観戦した。

 ところで、わが国のトップリーダーは、とても「きまえ」がいい。麻生首相は、10兆円を超す2009年度補正予算案の編成を指示した。世界同時不況のなか、過去最大の補正予算を大型連休前にだす予定だという。

 「後は野となれ山となれ」ということばがある。今年に入ってから何回の補正予算をくんだのであろうか。すでに昨年末の国債などの借金は840兆円を超えている。

 10兆円の補正予算の財源はどこからもってくるのであろうか。まずは大量の国債発行が考えられる。この借金は、いずれじわじわと国民が負担をしなければならない。それとも特別会計の「埋蔵金」かは現時点では不明だ。

 国の特別会計は複雑な流れになっていて、国会ではチェックがしにくいしくみになっている。かつて塩川財務相(当時)が、「母屋(一般会計)でおかゆを食べているのに、離れ座敷(特別会計)ではすき焼きを食べている」と指摘したことがある。

 国とちがって、地方自治体の予算は千円単位で議会に提出されチェックをうける。所沢市の2009年度の当初予算案は、一般・特別・事業会計の総額は1500億3965万1千円。前年比マイナス0.1%の予算だ。どこの首長も財政難のなか、つねに自治体経営に頭を痛めている。

 「入りをはかりて出を制す」とは財政の基本原則。今年1月にスタートした「(仮称)まちづくり基本条例検討委員会」(50人)と「所沢市総合計画基本構想検討委員会」(72人)の第5回検討委員会(合同研修会)は、先日、所沢市の財政運営について勉強をした。

 財政課職員による「所沢市の財政のツボ」資料をもとに歳入・歳出の特徴から財政力指数、経常収支比率、実質公債費比率などが具体的な数字で説明がされた。所沢市の財政力指数は2007年度で1.078で、普通交付税の不交付団体。国から交付税をうけとっていない自治体になっている。

 さらに所沢市の「中長期財政計画」(2007-2016年)の説明がされた。10年間の計画だが、毎年見直しはされている。だが、昨年9月からの世界同時不況までは予測できない。参加者からたくさんの所沢市の財政への疑問、意見がだされた。

 たとえば、「類似団体との比較ではどうか」「中長期の算出基準は?」「市長マニフェストと財政計画との関係は?」「予算編成の骨組みはどうなっているか」「収入増をどう考えているか」等々である。

 合同研修会は各検討委員会メンバーの共通認識を深めるものであった。①総合計画②行政運営③自治基本条例④財政運営の勉強をかさねてきた。今後は各検討委員会のハードなスケジュールが12月まで予定されている。

 この検討委員会は、「素案」策定の任務をもっている。その後、必要な手続きを経て、最終的には市長の判断と決定により「原案」ができて、議会に提出されていく流れだ。

 公募市民による検討委員会には、さまざまな活動をしている人が多い。第4回合同研修会(3/21)で、牛山久仁彦先生(明治大学教授)が興味深いお話をされた。

 「この会は、希望者の会、やる気のある人の会です。議会とはちがう。合意形成はできるだけ全会一致が望ましい。そのためには自分の意見だけをとおすのはむつかしい。基本は、何が所沢市や住民にとって一番よい方法なのかを考えることではないでしょうか」と。

 ぼくは自治基本条例検討委員会のメンバーだが、今後のワークショップがどう進んでいくのか、またどんな意見が展開されていくのか、いまから楽しみにしている。

 

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2009年4月 5日 (日)

桜満開の市民文化フェア

 所沢は「日本の航空発祥の地」だ。1911年4月5日、フランス製のアンリ・ファルマン機が高度10m、飛行距離800m、飛行滞空時間1分20秒の飛行を行なった。いまから98年前のことだ。2011年には100周年を迎える。1903年のライト兄弟以来、飛行機の発達はめざましい。

 この地の一部がいま所沢航空記念公園になっている。公園内には航空発祥記念館、広い芝生、グランド、茶室などさまざまな施設がある。春夏秋冬の季節感を楽しめる市民の憩いの場だ。広さは50ヘクタールもある。

 4月4、5日の二日間、第24回市民文化フェアがひらかれた。会場の航空公園の桜は満開。多くの市民が文化フェアと桜を楽しんでいる。昨日、ぼくも暖かな陽気につられ、会場を訪ねた。

 まずは開会式典。増田隆信実行委員長は、「文化フェアは市民の手による市民のための祭典。心から楽しんでほしい。今回は、ものづくりのコーナーも開設しています。日本の匠、職人のわざも知っていただきたい」。

 当麻よし子市長は、「航空発祥の地を内外に発信し、所沢のよさをもっと多くの人に知っていただき、所沢にいってみたい、所沢に住みつづけたい、というまちづくりを市民とともにすすめていきたい。市民憲章には、みどりを守りやすらぎの街をつくろう、こどもは市の宝である、とあります。31もの企画を楽しんで人の輪をひろげましょう」とあいさつ。

 ステージでは、子ども劇団「にこっとちゃ茶」の短いミュージカルがはじまった。さてさて、どこから見学しようかと思案するほど催し物やブースがある。ストリートパフォーマンス、ペットボトルロケット、飲食ブース、民謡まつり、フラダンス、ジャズコンサート、和太鼓、植木まつりなどいろいろある。

 スタンプラリーもある。これは子どもたちに人気がある。スタンプを押すと景品がもらえる。ぼくは文化フェアに何回も参加しているが、「今回はこれに挑戦」と参加用紙をうけとった。航空記念館から始まる15箇所のスタンプ場所がある。エコライフコーナー、福祉のコーナー、格納庫までは順調だった。歩いていると、ひさしぶりの知人がいる。話がはずんだり、コップ酒をつがれたりで、つぎがなかなかすすまない。

 航空公園には、少年飛行兵の像、徳田・木村両中尉記念塔、フォール大佐像、大正天皇の碑など所沢飛行場の歴史的なモニュメントがある。彩翔亭(茶室)近くで、フォール大佐像をさがしている親子にあった。東村山市から来たという。子どもたちはなんの記念碑かも知らずに、スタンプを押すとつぎに移動してしまう。

 この地がかつて飛行場があったことすら、子どもたちは知らないだろう。戦後、アメリカ軍に接収されて、米軍基地は「所沢兵站センター」として使用されていた。

 ぼくが学生の頃、この基地でドラム缶のさび落としのアルバイトをしたことがある。広いかまぼこ型の作業場には「NO SMOKING」と書かれ、日本人はたばこは吸えない。しかし、みまわりに来る米兵は吸っている。「進駐軍は偉い」のだ。いま所沢の米軍基地は7割が返還された。だが、いまだ米軍は通信基地として使用している。

 満開の桜のもとで、大勢の人が酒を飲み、弁当をひろげている。お囃子がなっている。近くにいくとオカメをかぶった子どもが踊っている。天候にめぐまれた桜の下は、なんといっても「花より団子」、実にのどかな春の公園の一日だ。

 市民文化フェアは1986年、航空発祥75周年を記念してはじまった。もうすぐ航空発祥100周年。秋の市民フェスティバルもにぎやかだが、満開の桜のもとの市民文化フェアもまた楽しい。酔いがまわったぼくは、ついにスタンプラリーはギブアップした。

 「日本人が初めて大空をはばたいた記念すべき街」所沢。航空公園内には、「所沢航空発祥記念館」もある。まだの方はぜひ見学してはいかがだろうか。

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