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2009年2月

2009年2月27日 (金)

どうなる日本の食料自給率?

 航空公園駅ビルに小さなスーパーがある。店外に野菜がたくさん並べられている。地元生産者の氏名が書かれている野菜が売られている。所沢産のサトイモ、にんじん、ごぼう、ねぎ、レタス、ブロッコリーなどだ。

 病院の帰り、ちょっと店内をのぞいてみた。どのスーパーも同じだが、季節感をだしたいのだろうか、入口付近には野菜・果物がおかれている。最近は生産地がわかるように県名や国名が表示されている。1年前の中国製冷凍ギョウザ事件などもあり、消費者は「安心なものを選びたい」というこだわりがある。

 狭い野菜・果物売り場には外国産もある。主に果物類だが、ニュージーランド、ベルギー、タイ、メキシコ、フィリピン、カリフォルニア、フロリダという国名・地名が表示されていた。魚肉などの食品、冷凍食品となると世界中から日本は食料を輸入しているにちがいない。

 わが家は30年以上、生活クラブ生協にかかわっている。寒いみぞれのなか、今日も生協の品物が配達された。生協は店舗をもたない班購入が中心だ。この計画購入足りないので、ぼくは近くのスーパーで買い物するが、安心かどうか、ものによって商品表示をよくみることがある。

 先日、所沢市民大学で2回にわたって「日本と世界の食料・農業」の講義があった。講師は柏雅之先生(早稲田大学教授)。

 先生は、世界の食料需給予測、人口予測、とくに中国の食料問題にもふれた。最近の中国は経済成長がいちじるしい。「中国では、2年間で、日本の総耕作面積(470万ha)相当分が消失している」、中国の都市住民の食生活が大きく変化して、いま農産物の輸入が急増している、と。

 ぼくの興味深かったお話は、農業の多面的機能についてであった。多面的機能とは、農業の役割は農産物の生産だけでなく、国土の保全、、水源の涵養、自然循環の保全、景観、保健休養など大きな役割をはたしている機能。農業生産だけでなく、これらの機能が環境や生活にも影響をあたえているというなかみ。よく考えてみると、多面的機能のメリットがたくさんありそうだ。

 日本の食料自給率は40%。1965年には73%だったのが年々低下している。主要先進国では最低の自給率に落ちている。まさに日本は輸入にたよりきっている。ブッシュ前大統領は、「食料自給できない国を想像できるだろうか、これは国際圧力と危険にさらされている国である」(2001年)といっている。そのアメリカの自給率は128%(2003年)。

 いま世界はグローバル化の時代。世界規模で競争と利益優先の市場原理が貫徹されている。農産物も例外ではない。1995年に設立された世界貿易機関(WTO)の農業交渉も各国の利害が複雑にからみあっている。

 輸入に依存している日本の農業のゆくすえはどうなるのだろうか。その昔、じいさん、ばあさん、嫁さんの「三ちゃん農業」といわれたが、いま日本農業の従事者は昭和一けた世代が多い。首都近郊の所沢市も例外ではない。調べてみると、1965年当時の所沢市の世帯は2万だったが、農家数は約3500、いま14万世帯で農家は約1800。いかに減少しているかがわかる。

 人間にとって絶対に必要な食料。自給率40%だけの食事はどんなものになるか、シュミレーションをみたことがあるが、あまりにも食卓がわびしい状況になってしまう。どう自給率を高めていくのか、それとも現状のまま輸入に依存していくのか、近くおこなわれる総選挙の争点の一つになりそうだ。

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2009年2月23日 (月)

自治会ってなんだろうか

 今日から新年度予算を審議する所沢市議会がひらかれている。ぼくはインターネットによる議会中継で、つれあいの当麻よし子市長の施政方針を聞いた。1時間10分にわたる長い演説であった。演説のさなか、議場のカメラは各議員さんの顔もクローズアップしていた。

 昨日も、つれあいは朝から各種イベント・会合に出席し、夜8時過ぎ帰宅した。NHKの大河ドラマ「天地人」の時間であったが、テレビから離れ、施政方針の最終チェックに余念がなかった。いずれにしても、当初予算議会は執行部も議員さんも長期間なので大変だ。

 ところで、ぼくはいま町内会の班長をしている。会費集め、回覧板、交通災害共済のとりまとめ、各種行事の案内など末端の任務がある。これが自治会・町内会長など三役になると仕事がたくさんある。

 先日、ミューズで開かれた「自治会・町内会ってなんだろう?」という講演会に参加した。主催は、所沢市自治連合会。当麻市長のあいさつの後、講演会がはじまった。

 講師は、中川幾郎先生(帝塚山大学大学院教授)。先生は元豊中市役所の職員で、お話は大阪弁で少し早口だ。ぼくは大阪万博の頃、豊中市に在住したことがある。なつかしいまちだ。

 先生は、阪神淡路大震災の例をあげて、「縦割り組織はいざというとき役立たない。たとえば神戸市の長田区。焼け野原になったが、死傷者が少なかった。なぜならみんな顔や名前がわかっているから助け合ったからだ」という。

 ぼくも大震災直後、長田区を視察したことがある。ふだんから隣近所のつきあいがある。だから、いざというとき、「だれだれさんは足が不自由だ、寝たきりだ」と知っているので、ご近所の人が心配し助け合ったと聞いたことがある。

 先生は、「市民といっても、家に帰るだけの寝民タイプ、要求するだけの居留民タイプもいる。これをほんまもんの市民にする。ほんまもん市民は逃げたくとも逃げられない。ここに生きている。まちが気になる。行政の仕事や環境も気になる、そんな市民への転換が必要ではないか」と説く。

 最近は、なにが起きるかわからない時代だ。市民は安全・安心なまちを求めている。先生は、NHKの「ご近所の底力」を例にとり、空き巣対策にふれた。「カネをかけてやったがなかなか効果がない。だが、あるひとつの発見をした。それはご近所同士があいさつをすることだとわかった。あいさつがかよう街は泥棒は入れない。ジョン・デューイがいう、面識社会こそ民主主義の基本ですね」と。

 わがまちも防犯パトロールが行なわれている。今朝も雨の中、ご近所の人が、子どもたちの通学路に立っている。「おはよう!」と声をかける。「子どもたちから元気をもらっているよ」とうれしそうにいう。

 現在、所沢市の自治会・町内会は281団体、約96,000世帯が加入している(08年4月)。世帯比率で68%だ。みなさんのまちではどんな加入率だろうか。

 各地区の自治会・町内会は、自主防災、地域安全活動や防犯灯の設置・管理、ごみ置き場の管理、環境美化運動、盆踊り大会など、さまざまな活動をしている。まさに自治会・町内会は、地域のふれあい、連帯感をとおして、より住みよいまちをつくっていく、もっとも身近な住民組織といえる。

 所沢市民憲章の最後に、「一人ひとりが自らまちづくりを進めよう」ということばがある。講師の中川先生が指摘した「市民への転換」ということばは、市民憲章でうたっていることと同じではないか、と思った。

 

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2009年2月13日 (金)

所沢市民の熱気ある研修会

 所沢市役所8Fの大会議室。眼下には広大な航空記念公園、旧町の高層マンション群、はるか南東には新宿の副都心がみえる。先日(2/11)、多くの市民が参加して、自治基本条例と総合計画を検討する合同研修会がひらかれた。

 この合同研修会は1月からスタートしている。いま所沢市は、市民参加の市政推進として、「(仮称)まちづくり基本条例検討委員会」と「第5次所沢市総合計画基本構想検討委員会」の二つの組織を発足させている。基本条例検討メンバーは50人、総合計画検討メンバーは72人がなっている。ぼくは基本条例のメンバーになった。

 会場は約20のテーブルがおかれ、条例グループ、総合計画グループと大きく区分、さらに小グループにわかれてのワークショップ形式だ。前回の研修会は、第1次から第4次までの所沢市の総合計画の勉強。参加者には、第4次総合計画の「後期基本計画(2006-2010)」などの資料が配布された。

 今回の合同研修会は、第4次行政改革大綱の勉強だ。所沢市の財政状況、市民意識調査の結果、行政評価制度などについて、担当の市職員から説明がされた。今回は「行政改革大綱~さらなる自治の実践にむけて~」「行財政状況分析・資料編」などが配布された。

 まず、参加者の共通認識のために、職員が所沢市の行政改革の現状を約1時間半説明された。あれもこれも説明したいという熱心な担当者の気持ちもわからないわけではないが、時間の制約もあり消化不良をおこしそうだ。あとで資料をじっくりとみるしかない。

 研修会はテーブルごとにわかれている。参加者は毎回、席をかえる配置になっている。今回のぼくのグループは8人。小学生のお子さんがいる人、民間企業に勤める人、元公務員、リタイア組などの構成だ。グループでは、事前に書かれた「議論したいこと、関心のあること」などが一覧表で用意されている。これらを中心に、今回の「行政改革について」の疑問、意見などを話しあった。

 参加者は、これからの所沢市はどうあるべきか、という問題意識をもっている人が多い。このグループ討議が終わると、総合計画グループ、条例グループから多くの質問がだされた。人数が多いので、質問者はグループでひとりになっている。

 「今後の市の歳入歳出、借金の見通しはどうなっているか」「外部評価に市民は参加できないのか」「説明は一般会計だけだが、特別会計がないとわかりづらい」「人件費削減はどうなっているか」

 「過去の税収でたくわえたお金はあるのか」「市税の収納率は98%だが、市民のところにもっと出向いたらどうか」「行革大綱のまわりにはたくさんのプランがある。わかりづらいので位置づけがわかる資料を」「行政評価の数値化がされていないではないか」など、活発な質問、意見がだされた。担当職員が答えられるもの、そうでないものもある。

 第4次行革大綱の最初の大柱1、「市民との新たな関係の構築」では、「市民全体が合意形成が図られるように必要な情報をわかりやすく提供し、市民が求める成果を把握する仕組みを構築することです」と、これからの分権型社会にふさわしい行政と市民との新しい関係についてふれている。

 いま多くの市民が市政に関心をもっている。情報公開だけでなく、市民との情報を共有することによって、すみよいまち所沢をつくろうという意気込みがみられる。そんな市民の熱気が感じられる検討委員会だ。

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2009年2月 8日 (日)

所沢市議会のミニシンポ

 日本の自治体の首長、議員は住民の投票によって選ばれる二元代表制だ。最近の首長は、ローカル・マニフェストをかかげ、政策を実行しているのが多い。一方、市民には、地域の個々の議員さんの日常活動はみえるが、機関としての議会活動となるとなじみがないのが現状だ。

 市民の負託にこたえられる議会をめざしたいと、昨日(2/7)の午後、所沢市民体育館の大会議室で、議会基本条例ミニシンポジウムがひらかれた。受付、司会、基本条例の説明も議員さんが担っている。これも市民にみえるオープンな議会改革のひとつといえる。 

 会場には、顔なじみの所沢市民大学のメンバーもたくさんいる。基調講演をされた所沢在住の廣瀬克哉先生(法政大学教授)は、「議会基本条例は、3年前まで世の中に存在していなかった。北海道栗山町議会が議会改革に火をつけて、いま32議会が制定している。制定を視野にいれているのは約120」と全国の状況からお話がはじまった。

 「市民の議会への期待度は多くはない。これまでの議会のあり方を考えれば、これがおおかたの市民の実感ではないか。32議会の大半はできたてのホヤホヤの状態だ」と語り、議会基本条例とはなにか、憲法、地方自治法での規定を例にとり、議会基本条例の必要性をわかりやすく説明された。さらに具体的に、議会改革としてとりあげたい基本的事項について問題提起をされた。

 所沢市議会の議会基本条例制定特別委員会が設置されたのは2008年6月。特別委員会は、条例づくり作業部会、先進地視察、長時間にわたる議論、公聴会開催など、工程表にもとづいて熱心に活動しているとは聞いていた。その努力の結果、条例は今年の3月定例会に上程されるという。

 特別委員会の桑畠健也委員長は、「首長の権限強化への対応、弱い議会の監視機能などがあり、議会基本条例が必要になってきた。この条例は実際に議員自らがつくった。専門家の意見、法務のチェックもした。パブリックコメント、公述人の公募、公聴会の開催など、なによりも制定過程が議会改革であった」と語ったように、このプロセスが所沢市議会を一歩前進させていると感じた。

 ぼくは12年前の1997年、全国初の議員提案による「ダイオキシン条例」の策定に参加している。当時、高濃度のダイオキシンが市内でみつかり、マスコミも大きくとりあげ、多くの市民団体が活発に動いた。条例をつくるにしても全国に先例がない。市民の要望にこたえたいと、連日、議会特別委員会は、なれない条例づくりに精力をついやした。

 今回の議会基本条例は、ダイオキシン条例制定過程以上に地方自治法上の制度を活用している。

 議会基本条例第2次素案の条文説明は、荻野泰男副委員長が行なった。議会としての説明責任をはたす議会報告会、市民が傍聴してもわかる一問一答方式の採用、質問者への市長等の反問(逆質問)、議会として閉会中の市長等への文書質問、議員間の自由討議、政策討論会、附属機関の設置など、今後のいきいき所沢市議会への条文がたくさんある。

 参加の市民からたくさんの条例への質問、要望がだされた。うれしいことに特別委員会のメンバー全員がていねいに答えていることだ。

 議会の大事な仕事のひとつ、条例制定という立法の経験は、今後の議会活動に自信をもつことになる、と思う。短期間のなか、精力的に若手の議員さん中心に「自分たちの手で、よくここまでやったね」と敬意を表したい。

 個々の議員活動から議会としての活動へ、すばらしい議会基本条例のなかみを実践していくのはこれからだ。市民も所沢市議会の条例の運用を一日でも早く実現できることを期待している。

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2009年2月 3日 (火)

革命家チェ・ゲバラの映画

 今年はキューバ革命50周年。キューバといえば、カリブ海、葉巻、砂糖、カストロ、ゲバラというイメージがある。そのひとつ、キューバ革命で活躍したチェ・ゲバラの映画がいま上映されている。

 映画名は「チェ 28歳の革命」「チェ 39歳別れの手紙」の2部作、上映時間は約4時間半。ぼくは若い頃から映画は好きで、数えきれないほどいろいろな映画をみている。とくに歴史もの、戦場ものなどが多い。つれあいも映画は好きだが、どちらかというと恋愛ものだ。いまは市長職のためテレビでの観賞が多い。

 チェ・ゲバラは1928年生まれ、アルゼンチン出身の医師だ。それがなぜ革命家になっていったか、1950年代の中南米の独裁政権、貧困、反政府運動などが関係している。

 「チェ 28歳の革命」では、メキシコに亡命中のフィデル・カストロと出会う。1956年12月、小船のグランマ号でキューバ上陸。このとき82人が乗り込んだというが、上陸直後の政府軍の襲撃で残ったのは12人だったという。

 当時のキューバは、バティスタ軍事独裁政権。その背後にいるのはアメリカ。上陸後、山中を転々として、政府軍と交戦。この過程で、チェ・ゲバラはリーダーとして頭角をあらわしてくる。首都ハバナの陥落は1959年1月。バティスタはドミニカへ亡命、キューバ革命は勝利した。ゲバラは市民権を与えられ、キューバ新政府の工業相に就任している。1964年には国連総会でキューバ代表として演説もしている。

 ぼくがこの映画をみたよと、よくいく喫茶店のマスターに話したら、「ゲバラは日本にもきていますよ」とのこと。調べてみると、1959年7月、キューバ使節団として、トヨタ自動車工場、新三菱重工、ソニーなどを視察している。さらに広島の原爆資料館なども訪れている。

 キューバ革命を達成した背景には、カストロ、ゲバラなどのリーダーの果敢な活動もあるが、多くのキューバ国民の支持がなければ達成できなかっただろう。第一部の映画では政府軍と戦うゲバラの統率力が克明に描かれている。

 第二部の「チェ 39歳別れの手紙」は、南米のボリビアが舞台だ。1966年11月、ゲバラは変装してボリビアに入国。ボリビアもアメリカの支援のもと、バリエントス軍政下にあった。圧制からの解放をもとめて、ゲバラは戦いをはじめる。だが、農民やボリビア共産党の支持をえられず、1967年10月、ゲバラ隊は政府軍の攻撃をうけ、ついに処刑され、39歳の生涯を閉じた、というストーリーだ。

 キューバから突然消えたゲバラに対して、フィデル・カストロは、1965年10月、ゲバラの手紙を読み上げた。「私はキューバ革命で、私に課せられた義務の一部を果たしたと思う。だから別れをつげる。……私は党指導部での地位を正式に放棄する。大臣の地位も、司令官の地位も、キューバの市民権も。いま、世界の他の国々が私のささやかな助力を求めている」。まさにゲバラは永遠の旅人という感がある。

 チェ・ゲバラは、なぜか日本の若者にも人気があるという。ぼくの知っているM君のパソコンの画面は「ゲバラ」だ。ゲバラが処刑された1967年は、ロシア革命50周年にあたる。世界は米ソ冷戦構造のまっただなかにあった。そして今年はベルリンの壁が崩壊して20周年になる。世界はいま金融危機におちいっている。

 あまりにも矛盾にみちた世界に対して、「私のささやかな助力を求めている」と手紙に書いたチェ・ゲバラに共感するのも無理からぬことだ、と思う。

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