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2008年12月

2008年12月29日 (月)

不況下の非正社員の失職

 冬の関東地方は晴天の日が多い。洗濯物やふとん干しの身にはありがたい。雪国ではどうしているのだろうか。

 昨晩10時30分頃、つれあいの当麻よし子市長は、歳末警戒にあたっている所沢市消防団の各分団を巡視して、今年最後の公務日程を終えた。激務の市長職でありながら34万所沢市民の先頭にたって、かぜもひかずに元気でやってこれた。

 今年も世界のビックニュースはたくさんあるが、街を歩いてもアメリカ発の金融危機の影響は大きい。年末年始は「巣ごもり消費」と新聞にあった。商店街の人たちに景気はどうですかと聞くと、「売れゆきが悪い」と一様な返答だ。消費者は、将来不安のため、財布のひもをしっかり締めている。

 景気の悪化で、毎日のように非正社員の首切りニュースが報道されている。厚生労働省の調査によると、今年10月から来年3月までに職を失う人は、8万5千人を超えるという。そのうち7割が派遣社員、その他は契約社員などだ。

 都道府県別にみると、トヨタ自動車を中心に自動車産業が集積する愛知県が1万509人でトップ、電機・精密機器が集まる長野県が4193人、自動車部品メーカーが多い福島県が3856人とつづいている。この数字は、あくまでもハローワークで確認できたものだ。ちなみに11月の失業率は3.9%、完全失業者数は256万人と増えている。

 ぼくも半年間、失業の経験がある。失業の深刻さは数字だけではわからない。毎日、職を求めて履歴書を書く。雇用保険(失業保険)の手当てを受けに毎月決められた日に、ハローワーク(職業安定所)にでかける。求人欄をみても、年齢にあった職種は少ない。街にでかけても、自分の所属する身分がない。この間、働いている人をみると実にうらやましくなる。

 「賃金が安くとも、アルバイトでも、どんな仕事でもいい。働きたい ! 」という思いは人一倍になってくる。まっさきに新聞の求人欄に目をとおす毎日。履歴書もいやというほど書いた。面接の電話、通知がいつくるかと首を長くして待つよりほかはない。収入がないのと、精神的に不安定な日々がつづく。こんな貴重な経験もした。

 いま世界同時不況のなかで、最初に派遣社員が首を切られている。正社員だっていつ会社が倒産するかわからない。まじめに働いてきた労働者が路頭に放りだされる。家族を抱えて、寒風のなかの職探しの苦労を考えると、ぼくも経験があるだけに「これからが大変だな」と心が痛む。

 投資、投機マネーによる世界の金融危機が、急速に実体経済におしよせている。現在は、グローバリゼーションの時代。グローバル化によって、ひと、もの、カネ、高度情報が地球規模でダイナミックに動いている。その経済の本質は、競争主義、市場主義の論理が貫徹している。

 労働市場の規制緩和が優先され、結果は毎年派遣社員の増大だ。一部の金持ちを除いて、首を切られる時代をだれでもいいとは思わない。ぜひ2009年は政治も経済もチェンジしたいものだ。

 「つれあい日誌」の読者のみなさん。今年もお世話になりました。ありがとうございました。来年もよろしくお願い申し上げます。お体に気をつけてよいお年をお迎えください。

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2008年12月24日 (水)

市民吹奏楽団の演奏会

 NHK大河ドラマ「篤姫」のメインテーマ曲が演奏された。目をとじるとテレビの映像シーンが鮮明に浮かんでくる。これは、昨日ひらかれた「所沢市民吹奏楽団冬のコンサート2008」の一場面だ。

 会場の所沢市民体育館メインアリーナの入口で、プログラムなどを配る中学生がいた。近くの美原中学校吹奏楽部の生徒さんだ。メインアリーナは観客席4300もあるとても広くて天井が高い。近くにいる団長さんに聞くと、「今回はミューズのアークホールがとれなかったんです。午前中練習をしましたが、音はだいじょうぶでした」とのことあった。

 正面にはサンタクロースのぬいぐるみが置いてある。楽団員の前には、小さなもみの木も飾られている。会場には多くの市民がつめかけた。

 コンサートは2部構成。1部は、軽やかな旋律の「喜歌劇・天国と地獄」の序曲、テレビ・映画でおなじみの「歌劇ジャンニ・スキッキ」、ドラの音ではじまる「ミュージカル ミス・サイゴン」序曲などのメドレーが演奏された。どれも聴きなれた曲だ。

 2部は、サンタの帽子をかぶってのクリスマスメロディがはじまった。前回のブログでふれた「交響曲第9番」以上に親しまれている曲だ。その後、NHK大河ドラマの「独眼竜正宗」「秀吉」「篤姫」のメインテーマがつづく。観客は年配者も多い。美空ひばりのヒット曲メドレーにききほれている。アンコールは、やっぱりクリスマスメロディ。

 所沢市民吹奏楽団の演奏を心待ちしている市民は多い。日常生活で親しまれている曲が多いからだと思う。1976年に設立した吹奏楽団は、高校生や社会人で構成されているアマチュアの楽団だ。定期的な演奏会のほかに、最近では、西武ライオンズ優勝パレード、所沢駅西口のイルミネーション点灯式でも演奏している。ぼくは長年、賛助団員でかげながら応援している。

 クリスマスといえば、イギリスのシェフィールドに住むエレンのクリスマスカードには、「今年は明るい年ではありませんでした。(夫の)ブライアンが心臓病を再発。でもいまはOK。私は2月に乳がんと診断され放射線療法で治療しています。末娘が8月に結婚しました。来年はきっといい年になると信じています。メリークリスマス」。

 ロンドンのサーニアは、ぼくと同年代の元気な女性。「今年は夫婦でガラバゴス諸島、チベットにいってきました。忙しいよし子さんによろしく」とのカードが届いた。年末のクリスマスメロディを聴きながら、彼らはどのようなクリスマスイブを過ごすのだろうか、と思った。

 今朝の読売新聞に、景気の急速な悪化で消費者は、「年末は巣ごもり消費」との見出しが載っていた。これはどこの国でも同じかもしれない。

 こんな世相のなかでこそ、身近な所沢市民吹奏楽団の明るく元気な演奏はありがたい。2009年4月26日には第33回定期演奏会がミューズ・アークホールでひらかれる。来年もぜひ聴きたいものだ。

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2008年12月21日 (日)

心にひびく「歓喜の歌」

 ベートーヴェンの交響曲第9番が始まる所沢市民文化センター・ミューズのアークホール(2000席)は、満員の聴衆で一杯だ。第3楽章の静かな旋律、そして第4楽章の「歓喜の歌」に聴衆はうっとりしている。聞きなれたメロディーと合唱が始まった。

 年末恒例の「第九」は、師走の風物詩といった感じだ。日本ではじめて合唱つきで演奏したのは、1918年、第一次世界大戦中に日本軍の捕虜となったドイツ兵だったといわれている。とはいえ、「年末恒例」になったのは、まだ数十年の歴史だ、と思う。

 今日の交響曲第9番の演奏は東京フィルハーモニー交響楽団、指揮は佐渡裕さん。開演に先立ち、当麻よし子(所沢市文化振興事業団理事長)が主催者を代表して、「開館15周年を迎えたミューズは、所沢の芸術文化の拠点としてその役割を担ってきた。今後とも文化を発信していきたい」とあいさつ。

 東京フィル楽団員の後ろには、「所沢で第九を」の合唱団が勢ぞろい。この「所沢で第九を」は、すでに12月7日、第26回目の公演をミューズ・アークホールで行なっている。実は、所沢市民大学の同じ班のSさんも歌ったという。男性は少ないので入りやすいというが、この合唱団のメンバーは約250人。

  このなかからオーディションに合格した114人と東京オペラシンガーズ30人が今回の「ミューズ特別合唱団」だ。「歓喜の歌」は、ドイツ語。「おお友よ !」で始まるあのむつかしいドイツ語の詩をどう覚えるのだろうか。なにか、コツがあるのだろうか。意味はわからないが、独特のなじみのあるメロディーだ。

 この「歓喜の歌」は、EU(欧州連合)の歌になっている。EUの資料によると、「歓喜の歌は自由への賛歌でもあり、また共同体意識と欧州連合を構成する27カ国の市民の平和にたいする賛歌。この歌はEUの行事の際に演奏される」と。もっともEUでは多くの言語がつかわれているので、楽器だけで演奏されている、という。

 演奏が終わると会場は、われんばかりの拍手、拍手、拍手。指揮者、ソプラノ、アルト、テノール、バリトンの歌手が出たり入ったり。東京フィルの交響曲第9番は大拍手のうちに終了した。満足げに出口にむかう聴衆。夕闇でミューズの中庭は、きれいなイルミネーションが灯されている。心にひびく「歓喜の歌」だった。

 ぼくと一緒に聴いた友人は、アークホールにあるパイプオルガンをまだ聴いたことがないという。アークホールのパイプオルガンは日本最大級のものだ。所沢市が誇るミューズは、大・中・小の独立したホールをもつ立派な施設。さまざまなイベントがある。くわしくは、ミューズのホームページでごらんいただきたい。

 ベートーヴェンの「交響曲第9」。いま世界同時不況のなか、人びとが「歓喜の歌」を心から歌える日はいつくるのであろうか。

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2008年12月16日 (火)

国際的な視野を次世代に

 NHK大河ドラマ「篤姫」が終わった。幕末の江戸城大奥、開国の動き、明治維新と動乱の時代を生きた「篤姫」に魅了されたファンは多かったにちがいない。つれあいも、ぼくもすっかりドラマのとりこになってしまった。

 来年のNHK大河ドラマは「天地人」。越後を舞台にした戦国武将のストーリーだ。どんなドラマになるか、ふたをあけてみるまでわからない。その新潟から先日、羽賀友信さん(長岡市国際交流センター長)が、所沢インターナショナルファミリー(TIF)20周年特別講演会の講師としてやってきた。

 羽賀さんはまわりから「出張難民」といわれるほど、世界中を飛び歩いている。28歳のとき、カンボジア紛争地に入るなど、国際協力の経験豊富な方で、中東問題の専門家だ。

 講師を招いた所沢インターナショナルファミリーは、国際交流、日本語教室など活発な活動をしている市民グループ。ぼくも十数年所属している。テーマは「TIFに期待すること」であったが、参考になるお話がたくさんあった。

 羽賀さんは長岡市出身。明治の初め、戊辰戦争に敗れた長岡藩に他藩から見舞いの米百俵が送られたが、食えないからこそ教育を、とその米を売り、学校建設にあてたという「米百俵」のお話。これも未来をみすえたリーダーがいたからだ、という。

 国際協力、国際交流、多文化共生も根っこはひとつ。そこには「ヒューマン・ストーリーがないといけない」と強調する。子どもたちに「国際人とはなにか」を話すとき、どこでも生きていける能力、またコミュニケーション能力が必要だ。その能力がないと、相手の反応がわからないので怖くなってしまう、「なぜならば」という説明ができる能力が必要ではないか、と。

 子どもたちは「未来市民」だ。長岡市では留学生を先生に、音楽や映像をつかって文化のちがいなどを教えている。さらに、「未来市民国際フォーラム」の開催。「ルワンダの内戦からまなぶ」など、世界の現状や国際協力について、青少年に考えさせるイベントを7回おこなっている。子どもたちは「自分の幸せをおすそわけしたい」と駅前で、留学生と一緒に学校建設の募金活動もしたという。

  羽賀さんは、「イベントは、わくわく、楽しい、わかった」が必要だとアドバイス。わくわくするような企画、みんなが楽しむ、理解を深める、これは意外とむつかしい。

 4年前の2004年10月、長岡は中越大震災を経験している。グラグラ地震が発生したとき、心がすべって、なにもできない状態になったという。長岡市には中国人、ブラジル人が6割いる。地震を知らない外国人。ことばの壁、制度の壁、こころの壁がたちはだかる。羽賀さんは、このとき外国人被災者への支援活動をしている。

 その後、国際交流センターは、外国人が「いざ」というときに、パスポートに差し込める多言語のわかりやすい「災害時避難カード」を作成している。破れない、水にぬれても大丈夫というA4を8つ折した避難カードだ。

 「人をいかすことは自分をいかすこと」と語る羽賀さんは、強力なネットワークを駆使している人だ、とぼくは思った。国際協力機構(JICA)、留学生、多文化共生マネージャーなどとのネットワークをもっている。

 グローバル化のなかの日本。国際的な視野をもつ次世代を育てること、こんな問題提起も今後参考にしたい、と思う。

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2008年12月10日 (水)

貧困と飢えにあえぐ人びと

 米国発の金融危機は、ものすごい速さで世界の実体経済に影響をあたえている。今朝の新聞に、「ソニー1万6000人削減」の大見出しの記事がのった。近くの不動産屋さんに聞くと、10月から物件の動きがとまった」となげいていた。グローバル化のなかで、日本経済への影響は今後もっと深刻になりそうだ。

 グローバル化で、新自由主義にもとづく市場主義経済の論理がいま世界中にまかりとおっている。先進国、途上国であれ、貧富の格差は拡大している。だが、貧困にあえぐ人びとは、開発途上国に圧倒的に多い。現在、1日1ドル未満でくらす人は12億人、2ドル以下だと20億人以上いるという。ちなみに世界の人口は66.7億人(2007年)。

 貧困は、飢餓や栄養不足などの絶対的貧困(生存のための最低限の生活水準)と所得や富の格差による相対的な貧困(その社会の生活水準や経済状況による貧困)に大きく二つに分けられだろう。

 絶対的な貧困とは、食うや食わずの最低限の生活状態といってよい。子どものミルクから食糧、教育、病院、水、エネルギー、仕事、保健医療、住宅など日常に必要なものが手に入らない、またサービスをうけられない状態だ。このような極度の貧困状態は、特にサハラ砂漠以南のアフリカ諸国に多い。

 かつて、ぼくが訪ねた南アフリカはアフリカ諸国では金持ちの部類にはいるが、都市周辺には粗末なバラック小屋に住む人たちが圧倒的だった。

 「21世紀最大の課題は貧困の撲滅である」と国連開発計画(UNDP)は、2000年9月、国連ミレニアム宣言で、具体的な「ミレニアム開発目標」をさだめた。これには8つの目標、18のターゲット、48の指標がある。その達成期限は2015年としている。

 たとえば、目標1:極度の貧困と飢餓の撲滅。このターゲットには、1990年と比較して、1日の収入が1米ドル未満の人口比率を2015年まで半減させる。また飢餓人口に苦しむ割合を半減させるなどがある。

 これらは可能な数値目標なのか、それとも189の国連加盟国の政治的宣言で終わるのか、その検証はどうか、成果はどうか、が問われてくるであろう。

 なぜなら、冷戦後の世界は、利益第1の市場主義経済がばっこし、いまやアメリカ発の金融危機が世界中に大きな影響をあたえている。主要国の経済はマイナス傾向をしめしている。このような状況で、どこまで世界各国が「ミレニアム開発目標」にかかげた数値に努力を注ぐかは疑わしい。自国経済のことで頭が一杯だ、という国もでてきそうだ。

  現在のグローバリゼーションは、ヒト、モノ、カネ、情報などが地球全体に波及しているダイナミックな動きといえる。そのグローバル化の流れの原動力は、市場主義経済だ。その結果、もうける人間、見捨てられる人間がでてくる。

 いま先進国の日本やアメリカでも、所得や貧富の格差がひろがっている。毎日のように首切り、失業の増大、企業倒産の暗いニュースが報道されている。閉塞感がただよう時代になっている。みなさんはいまのグローバル化のなかの貧困をどう考えているのだろうか。

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2008年12月 7日 (日)

師走の所沢シティマラソン

 「ハア、ハァ、ハア」と息をきらせて、苦しそうに走るランナー。その脇には伴奏者がついている。沿道からは「あと少しでゴール。がんばって ! 」と声援がとぶ。5キロランナーの最後尾に近い場面だ。

 今日、恒例の所沢シティマラソンがひらかれた。いつもは西武ドームでの開会式だが、改修工事のため、今年の開会式会場は近くの旧ユネスコ村。大会会長の当麻よし子市長のあいさつの後、西武ドーム前で、午前8:45分、ハーフの部が市長の合図でスタート。コースは、起伏の多い狭山丘陵。この時期は、クヌギ、ナラの紅葉がきれいな季節だ。

 多くの市民が参加できるよう、コースは、ハーフ、5キロ、3キロ、2キロの部にわかれている。今年の参加申込者は5,957人。市内外からのランナーがコース別に時間をずらしてスタートした。ぼくは沿道の応援団。知人に「走らないんですか?」と聞かれたが、ふだん走っていない身には無理な話だ。結局、沿道の応援にまわる。

 ハーフのランナーには、サンタクロース、仮面ライダーの服装の人もいる。あの姿でうまく走れるだろうか、と余計な心配もする。5キロのコースには、防火服を着た消防団のグループがいる。動く広告塔なのか、「消防団員募集」の横断幕をもって走っている。

 子どもから高齢者まで6千人が走った所沢シティマラソン。昨年のタイムより早く走ろうとするランナー、仲間と楽しく走るランナー、顔を真っ赤にして走る孤独なランナーなど、シティマラソン参加者はいろいろだ。いずれにしても、運動不足のわが身からすると、うらやましいランナーたちだ。日頃の練習・努力に敬服するしかない。

 先にもふれたが、今年の開会式会場は旧ユネスコ村。近くに住みながら、ユネスコ村の風景はがらっと変わっていた。日本がユネスコに加盟し、その記念にできたのがユネスコ村。開園は、1951年のことだ。オランダの風車など世界各国の代表的な家が建ち並んでいた。ぼくは学生の頃、このユネスコ村でアルバイトをした経験がある。当時は、近郊の小学生の遠足によく利用された。

 その後、「大恐竜探検館」「UFO」施設などができたが、2年前に営業を中止している。ひさしぶりの地だが、昔のおもかげ、いまいずこになっている。会場に足を運んだランナーのなかには、かつてユネスコ村に遠足にきた思い出をもつ人がいるにちがいない。

 全国の市民ランナーにぜひ立ち寄っていただきたい所がある。それは近くにある狭山湖。いまの季節、静かな湖面にはカモが羽を休めている。夕方、湖にでかけたが、たくさんのカメラマンが夕日の沈む美しい湖面にカメラをむけていた。

 所沢シティマラソンのコースは長さ700mの狭山湖堤防の下を通過している。ぜひ次回は、時間をとって首都近郊で雄大な自然を満喫できる狭山湖をごらんいただきたい、と思う。

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2008年12月 2日 (火)

障害者週間の記念講演

 「目をとじて、深呼吸してください」「だれかの声が聞こえませんか?」「聞こえた人は手をあげてください」と、石澤さんは満員の参加者に問いかける。手をあげたのは数人。これは12月1日、所沢市役所で開かれた障害者週間の記念講演会のひとこまだ。

 石澤さんは、1998年10月、パソコンをさわっていたとき、「自分の考えていることが、職場の人に聞こえるようになった」と妄想しはじめ、2000年から統合失調症で入院、最後の入院は2年前だったという。「今年1月、結婚しました」と照れる石澤さんは、オリジナル曲をギターライブした。

 今年の記念講演は、「一人ひとりが一人じゃないんだ~精神障害者の兄弟姉妹として・ソーシャルワーカーとして」というテーマ。講師は三橋良子さん。主催者の当麻よし子市長のあいさつの後、さっそく講演がはじまった。

 講師のお話は、統合失調症のお兄さんとの体験からはじまった。「最初の10年、本人も家族もつらかった。病気の軽さ重さはあるが、兄は人の目が怖いと、バスも自転車にも乗れないひきこもりの状態だった。偏見・差別の根強い社会のなかで、兄は入退院をくりかえした」。

 つらい経験を話すことは勇気がいる。「兄に、オレは世界で一番つまらない男。肩身のせまい思いをしていないか」といわれて、返事ができなかった、という。

 「兄は奇跡的に作業所に通うようになった。一生入院ではなく、その人らしく暮らすには管理された病院ではむつかしい」。そこで講師の先生は、地域夕食サービスの単身アパートなどの経験、さらに精神障害者をとりまく入院状況を具体的に指摘した。いまなお長期入院が多すぎる、と思う。

 ぼくは十数年前、所沢市に精神障害者の社会復帰施設をつくりたいと、関係者から相談をうけたことがある。翌年、東所沢の狭いマンションの一室、6畳2間にオープンしたのが、初めての共同作業所「所沢どんぐりの家」だった。いま所沢市内には、精神障害者の生活支援センターなどが7施設ある。

 当時は、身体障害者、知的障害者とくらべ、精神障害者の行政施策、予算は皆無であった。ぼくは「精神障害者に光を与えるのが政治の使命」だと、その後、意識的に市議会でとりあげてきた。

 精神障害者への偏見・差別はいまだ根強い。市内の公共施設を利用しての公設民営の動きもあったが、住民の「退院しても怖い、なにをするかわからない」「住宅地を徘徊しないよう、集団通所してほしい」「迷惑施設。地価が下がる」と、誤解、偏見、差別のなかで、やむなく中止した経験もした。総論賛成・各論反対のケースだ。

 市内の精神障害者施設はふえたが、どれも財政的に苦しい民間の小規模施設だ。所沢市役所一階に最近、喫茶室「どんぐり」がオープンした。

 記念講演会終了後、喫茶室には、たくさんの人が入っていた。社会福祉法人「所沢どんぐりの家」のメンバーさんが働いている。うれしいかぎりだ。障害者週間(12月3日ー9日)がもう必要ない、そんな社会に早くなってほしい、と思う。

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