合併で故郷の変化は?
所沢市民の多くは、昭和40年代に全国各地から転入している。ぼくは地元・所沢出身だが、つれあいは福岡県大牟田市の出身だ。大牟田といえば、有名な三池炭鉱があった。息子たちが小さい頃、夏休みには家族でよくつれあいのふるさとにでかけた。炭鉱が閉山した大牟田市は、いまや人口が減少し、高齢化がすすんでいる。
今年の夏、ふるさとに帰省する市民も多いと思う。ぼくは最近、NHKの「のど自慢」をよくみるが、なじみのない「○○市」からの放映がある。平成の市町村大合併で、新しい市の名前になっている。以前、日本の市町村は約3200あった。それが、いまは約1800。埼玉県も92市町村あったが、いまは71市町村。埼玉県の市町村合併率は、全国からみると少ない。みなさんのふるさとはどうであろうか。
ぼくはかつて、日本で一番小さな村を訪ねたことがある。その村は愛知県富山村。この村も、2005年11月に隣の豊根村に編入された。いまは旧富山村になってしまったが、豊橋駅から飯田線に乗って二時間、大嵐駅が下車駅だ。ぼくが訪ねたときの人口は204人、84世帯。所沢市内にあるマンション一棟分の人口だ。
人口が200人余であっても、憲法や地方自治法で規定された地方自治体。学校、病院、道路、水道、文化、高齢者対策などの施設、また戸籍、印鑑登録、住民税、国保会計、介護保険などの事務もある。村長も議会(ちなみに議員は7人いた)も当然おかなければならない。予算をみると、村税は収入の3%、あとは国の地方交付税、国県の支出金で運営している。
陸の孤島というイメージをもつかもしれないが、無人駅から役場まで2kmもない。村営の小型バスも走っている。役場の前には、郵便局、駐在所、喫茶店、雑貨屋などがある。高台には小中学校もある。訪ねたときの児童生徒数は、小学生10人、中学生5人。子どもたちより教職員の数は多い。診療所もあるが、週2回医師と看護師が村にやってくる。
しかし、この村も平成の大合併で豊根村(人口約1400人)になってしまった。旧富山村は日本一小さな村だったが、合併によってなにが変化したのだろうか。くらしはどうなっているだろうか。その後、訪ねていないのでわからない。
正月やお盆には、ふるさとに帰る市民も多い。合併でみなさんの故郷はどう変化したのだろうか。高齢化率は高くなり、過疎化していないだろうか。所沢生まれのぼくには、帰省するみなさんの故郷の市町村がどう合併で変わってしまったか、比較ができない。ぜひ知りたいものだ。
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